予告通りですが、(事後報告とも言う)あけおめ1ですw
すっかり年末年始気分も抜けていますが、
1/2に更新途中だった内容を日を何日もまたいで入力しています。
2012年開幕ですね。
昨年は震災からの原発事故と、いいニュースも埋もれてしまい、
決して良いことばかりの一年とは言えなかったです。
個人的には、長い闘病生活を続けていた母が先月遂に退院し、
久し振りに正月を実家で迎えることが出来たのが一番のニュースでした。
病気が快方に向かったのはもちろん骨髄移植をしてくれた方、担当されたお医者様による所が大きいですし、
年齢的にキツいと思われていた手術やリハビリに耐えたのも母の体力、生命力があってこそです。
私の家族は血液型的な意味で少しだけ珍しく、
自分の父も母も日本人では約10%のAB型でした。
姉二人と自分もAB型、弟と祖母はB型と言う、
日本人では一番多いはずのA型が居なく、極端すぎる一家な訳です。
因みに祖父はA型でした。
それでもAB型のRHマイナスはいません。
話は変わりますが、
骨髄移植をするにあたり、単に移植するだけでなく、
母の骨髄との相性が良いものでしか移植は出来ないらしく、
なかなか該当するドナーが居なく、しばらくの間投薬治療を続けていたのですが、
当然ながら移植しないことには根本的な解決にはならないし、
母の兄弟も移植に見合う型のものが得られず、
そんな感じでドナーを探すのにも当然ながら時間に手間もかかり、
悶々とする日々でした。
自分は家族で唯一県外で離れて暮らしているわけで、
病気が発覚したあとは仕事を辞めることも考えましたが、
やめたところですぐ地元で職が見つかるとも思えないし、
仕事を続けることにしました。
むしろ今の仕事も妥協の末の結果でありますが…。
病気が発覚したのは忘れもしない、
2010年の2月17日です。
17、18と連休で、その当日はとある仕事関連での用事があった為、
前日から同じ用事で出かける同僚の家に遊びに行くことも兼ねて泊まっていたのです。
17日早朝に電話があって、
自分が目覚めてから留守電を聞いてみると、
母が病気で入院した旨、
病名が骨髄異型成症候群という難病、平たく言えば白血病の一種であることを知り、
今は面会出来ないから、後日来てくれと言うことになった。
用事のため電車に乗っている車内で、
しかもこんな日に限って仕事でミスってというか、
客が自分に都合のいいことしか覚えてなく、そんなの聞いていないとかのたまってゴネたりしたのですが、
早朝のショッキングな出来事があったので、自分が負担することにして早々に対応を終わらせました。
そんなこともありつつ、その後実家に行くタイミングが取れず、
結構日数が経ってから父とお見舞いに行ったのですが、
母の容態はとりあえずは安定しているものの、抗癌剤の投与によって、
母の髪は抜け落ち、普段は帽子を被って生活していました。
体はどちらかと言えばふくよかな体型でしたが、すっかり痩せ細り、
体のあちこちには点滴などいろんな器具を繋ぐ為、色々いじくられていました。
確かにテレビなどで白血病などの患者の映像などは見たことがありますが、
実際に家族がこういう状態になっているのを目の当たりにすると、さすがにショックでした。
ですが、見た目とは裏腹に元気そうだったのでひとまずは安心しました。
その時ちょうど母の妹さん(叔母)もいらっしゃっていたのですが、お見舞いの途中、
自分に対してちょっと話があると病室から離れ、フリースペースへと移動しました。
まず母の状態を見てどう思った?と聞かれ、
『思ったよりも元気そうだった』
と感想を述べましたが、
母の病気の発覚からかなり日数が経っていて、
今になってお見舞いとか薄情じゃないか?
病気の内容はわかっているでしょう、
明日にはどうなっているかわからないんだよ?
元気そうだった?本当はつらい治療を受けているんだよ?
それを気づかれまいと元気に振舞っているって、わかってる?
久しぶりに息子に会うんだから、なおさらでしょう、
遠くで仕事をしているのはわかるけど、
家族であるあなたが率先して励ましに来るべきじゃないのか?
お叱りをいただきました。
確かに病気の名称、内容もネットで検索してはいたものの、
正直言うと、なんだか遠いところの出来事のようでもあり、
お見舞いに来て母の状態を見て初めて気づかされる事がありました。
勿論自分以外の家族や比較的近くの親戚ははとっくにお見舞い済み。
仕事が忙しいとか自分に理由をつけて来るのを遅らせていた自分を恥じた。
確かにそうなのだ。
思えば病気が自分に知らされたのは2連休の初日の早朝。
行こうと思えば日帰りでもいける実家。
何故すぐに用事をキャンセルし行かなかったのか。確かに発覚直後は面会謝絶だったので、
暫く日数を置いてから来てくれとの事だったが、
それにしたって、後日休みを取るなり方法はあったはず。
それをしなかったのは明らかに自分の過失である。
叔母からの叱責を粛々と受け止め、反省した。
その日はお見舞いを終えた。
その後、出来るだけお見舞いには来ようと思った。
情けない話だが、さすがに距離が距離なので、金銭的に月に何度も来るわけにはいかない。
来れても3ヶ月に一回のペースだったが、お見舞いに行った。
それが、実は何度も実家に帰っていたという内容の真相です。
あまりブログで書く内容とも思えなかったので、なかなか言い出せなかったのです。
前述の通り、暫くドナーも見つからず、
骨髄移植をしないと根本的な解決にはならないので、
ただただひたすらに探してもらいました。
・・・病院の方が、ですが(汗
兄弟であれば一致する可能性も高いので、
母の兄弟からも検査をしましたが、残念ながら一致せず。
そして暫く経ち、2011年の2月に、
遂にドナーが見つかったので、骨髄移植手術をする、
との事で、自分も同席することにしました。
手術に立ち合うって、始めは『えっ?』と思ったんですが、
イメージと違い、身体を切開するって感じでは無かったです。
無菌室に入室するので、マスク、防護衣に、
靴の上からも不織布?のでっかい靴下のようなものを履き、面会しました。
面会時間もあり、移植自体を最後まで見ることは出来ませんでしたが、
移植手術自体は成功し、安堵しました。
その骨髄移植してくれた人物というのが、自分と同い年の男性であること、
福島県に在住している人物ということは聞かされました。
決まりとして、詳しい個人情報は患者や家族には伝えないとのこと。
移植してくれた男性は福島県の方。
移植したのは昨年2月。大震災は3月。
もしあと一ヶ月くらいドナーが見つからなかったら、
この方は福島在住であった為、震災の影響を受けていたかもしれません。
もしかしたら骨髄移植自体NGが出ていたかもしれません。
どなたかはわかりませんが、移植していただいた方には感謝しても仕切れません。
直接お礼を言うことも出来ないですが、
見も知らぬあなたのお陰で母は助かりました。ありがとうございます。
血液型の話に戻りますが、この骨髄移植によって母の血液型はO型になり、
我が家では初の血液型に。
見ず知らずの人に骨髄移植をする…正直なかなか出来ることではありません。
もし自分が同じ立場であればどうしていただろうか…。
改めてこういう内容で打ち込んでいると、
自分と同い年の人なのに、なんだか情けなくなってきました。
母の病気が発覚してから、僅かでも人の役に立つことはしようと、
それまで学生の頃に二回、
成人してから暇なので行った程度だった、
献血を定期的にするようになりました。
AB型でどちらかと言えば数が少ないほうにあたるので、
自分の血液が誰かの役に立つのなら本望ですし、むしろ役立ててほしいわけです。
ドリンク類やお菓子は飲み、食べ放題だし、マンガもあるし、
血液の成分検査も出来るし、
それが無料とか贅沢すぎる。
まあ数ヵ月に一回だけど。
一番身近な、人の役に立つことだと思うので、
これからも続けていきたいと思います。
皆さんも機会があれば是非やってみては?
さて、実際にはこれが初の2012年の更新になるはずでしたが、
少々時間がかかってしまいました。
読みづらくてすみません;
ちょっと重い内容もありましたが、
今年はいい年になれば良いですね。
では皆さん、今年も残りあと355日となりましたが、
よいお年を!w
すっかり年末年始気分も抜けていますが、
1/2に更新途中だった内容を日を何日もまたいで入力しています。
2012年開幕ですね。
昨年は震災からの原発事故と、いいニュースも埋もれてしまい、
決して良いことばかりの一年とは言えなかったです。
個人的には、長い闘病生活を続けていた母が先月遂に退院し、
久し振りに正月を実家で迎えることが出来たのが一番のニュースでした。
病気が快方に向かったのはもちろん骨髄移植をしてくれた方、担当されたお医者様による所が大きいですし、
年齢的にキツいと思われていた手術やリハビリに耐えたのも母の体力、生命力があってこそです。
私の家族は血液型的な意味で少しだけ珍しく、
自分の父も母も日本人では約10%のAB型でした。
姉二人と自分もAB型、弟と祖母はB型と言う、
日本人では一番多いはずのA型が居なく、極端すぎる一家な訳です。
因みに祖父はA型でした。
それでもAB型のRHマイナスはいません。
話は変わりますが、
骨髄移植をするにあたり、単に移植するだけでなく、
母の骨髄との相性が良いものでしか移植は出来ないらしく、
なかなか該当するドナーが居なく、しばらくの間投薬治療を続けていたのですが、
当然ながら移植しないことには根本的な解決にはならないし、
母の兄弟も移植に見合う型のものが得られず、
そんな感じでドナーを探すのにも当然ながら時間に手間もかかり、
悶々とする日々でした。
自分は家族で唯一県外で離れて暮らしているわけで、
病気が発覚したあとは仕事を辞めることも考えましたが、
やめたところですぐ地元で職が見つかるとも思えないし、
仕事を続けることにしました。
むしろ今の仕事も妥協の末の結果でありますが…。
病気が発覚したのは忘れもしない、
2010年の2月17日です。
17、18と連休で、その当日はとある仕事関連での用事があった為、
前日から同じ用事で出かける同僚の家に遊びに行くことも兼ねて泊まっていたのです。
17日早朝に電話があって、
自分が目覚めてから留守電を聞いてみると、
母が病気で入院した旨、
病名が骨髄異型成症候群という難病、平たく言えば白血病の一種であることを知り、
今は面会出来ないから、後日来てくれと言うことになった。
用事のため電車に乗っている車内で、
しかもこんな日に限って仕事でミスってというか、
客が自分に都合のいいことしか覚えてなく、そんなの聞いていないとかのたまってゴネたりしたのですが、
早朝のショッキングな出来事があったので、自分が負担することにして早々に対応を終わらせました。
そんなこともありつつ、その後実家に行くタイミングが取れず、
結構日数が経ってから父とお見舞いに行ったのですが、
母の容態はとりあえずは安定しているものの、抗癌剤の投与によって、
母の髪は抜け落ち、普段は帽子を被って生活していました。
体はどちらかと言えばふくよかな体型でしたが、すっかり痩せ細り、
体のあちこちには点滴などいろんな器具を繋ぐ為、色々いじくられていました。
確かにテレビなどで白血病などの患者の映像などは見たことがありますが、
実際に家族がこういう状態になっているのを目の当たりにすると、さすがにショックでした。
ですが、見た目とは裏腹に元気そうだったのでひとまずは安心しました。
その時ちょうど母の妹さん(叔母)もいらっしゃっていたのですが、お見舞いの途中、
自分に対してちょっと話があると病室から離れ、フリースペースへと移動しました。
まず母の状態を見てどう思った?と聞かれ、
『思ったよりも元気そうだった』
と感想を述べましたが、
母の病気の発覚からかなり日数が経っていて、
今になってお見舞いとか薄情じゃないか?
病気の内容はわかっているでしょう、
明日にはどうなっているかわからないんだよ?
元気そうだった?本当はつらい治療を受けているんだよ?
それを気づかれまいと元気に振舞っているって、わかってる?
久しぶりに息子に会うんだから、なおさらでしょう、
遠くで仕事をしているのはわかるけど、
家族であるあなたが率先して励ましに来るべきじゃないのか?
お叱りをいただきました。
確かに病気の名称、内容もネットで検索してはいたものの、
正直言うと、なんだか遠いところの出来事のようでもあり、
お見舞いに来て母の状態を見て初めて気づかされる事がありました。
勿論自分以外の家族や比較的近くの親戚ははとっくにお見舞い済み。
仕事が忙しいとか自分に理由をつけて来るのを遅らせていた自分を恥じた。
確かにそうなのだ。
思えば病気が自分に知らされたのは2連休の初日の早朝。
行こうと思えば日帰りでもいける実家。
何故すぐに用事をキャンセルし行かなかったのか。確かに発覚直後は面会謝絶だったので、
暫く日数を置いてから来てくれとの事だったが、
それにしたって、後日休みを取るなり方法はあったはず。
それをしなかったのは明らかに自分の過失である。
叔母からの叱責を粛々と受け止め、反省した。
その日はお見舞いを終えた。
その後、出来るだけお見舞いには来ようと思った。
情けない話だが、さすがに距離が距離なので、金銭的に月に何度も来るわけにはいかない。
来れても3ヶ月に一回のペースだったが、お見舞いに行った。
それが、実は何度も実家に帰っていたという内容の真相です。
あまりブログで書く内容とも思えなかったので、なかなか言い出せなかったのです。
前述の通り、暫くドナーも見つからず、
骨髄移植をしないと根本的な解決にはならないので、
ただただひたすらに探してもらいました。
・・・病院の方が、ですが(汗
兄弟であれば一致する可能性も高いので、
母の兄弟からも検査をしましたが、残念ながら一致せず。
そして暫く経ち、2011年の2月に、
遂にドナーが見つかったので、骨髄移植手術をする、
との事で、自分も同席することにしました。
手術に立ち合うって、始めは『えっ?』と思ったんですが、
イメージと違い、身体を切開するって感じでは無かったです。
無菌室に入室するので、マスク、防護衣に、
靴の上からも不織布?のでっかい靴下のようなものを履き、面会しました。
面会時間もあり、移植自体を最後まで見ることは出来ませんでしたが、
移植手術自体は成功し、安堵しました。
その骨髄移植してくれた人物というのが、自分と同い年の男性であること、
福島県に在住している人物ということは聞かされました。
決まりとして、詳しい個人情報は患者や家族には伝えないとのこと。
移植してくれた男性は福島県の方。
移植したのは昨年2月。大震災は3月。
もしあと一ヶ月くらいドナーが見つからなかったら、
この方は福島在住であった為、震災の影響を受けていたかもしれません。
もしかしたら骨髄移植自体NGが出ていたかもしれません。
どなたかはわかりませんが、移植していただいた方には感謝しても仕切れません。
直接お礼を言うことも出来ないですが、
見も知らぬあなたのお陰で母は助かりました。ありがとうございます。
血液型の話に戻りますが、この骨髄移植によって母の血液型はO型になり、
我が家では初の血液型に。
見ず知らずの人に骨髄移植をする…正直なかなか出来ることではありません。
もし自分が同じ立場であればどうしていただろうか…。
改めてこういう内容で打ち込んでいると、
自分と同い年の人なのに、なんだか情けなくなってきました。
母の病気が発覚してから、僅かでも人の役に立つことはしようと、
それまで学生の頃に二回、
成人してから暇なので行った程度だった、
献血を定期的にするようになりました。
AB型でどちらかと言えば数が少ないほうにあたるので、
自分の血液が誰かの役に立つのなら本望ですし、むしろ役立ててほしいわけです。
ドリンク類やお菓子は飲み、食べ放題だし、マンガもあるし、
血液の成分検査も出来るし、
それが無料とか贅沢すぎる。
まあ数ヵ月に一回だけど。
一番身近な、人の役に立つことだと思うので、
これからも続けていきたいと思います。
皆さんも機会があれば是非やってみては?
さて、実際にはこれが初の2012年の更新になるはずでしたが、
少々時間がかかってしまいました。
読みづらくてすみません;
ちょっと重い内容もありましたが、
今年はいい年になれば良いですね。
では皆さん、今年も残りあと355日となりましたが、
よいお年を!w
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コメント
コメントありがとうです。
実際、母の病室には同じ血液の病気の患者がいたのですが、
母よりも若いのに他界してしまう方も何人か居たんだとか・・・;;
気の毒ではありますが、母が回復して良かったです!
献血、始めの検査採血はともかく、
目測だけど、実際の献血の採血の際は、
直径2mmから2.5mmくらいの太めの注射針をさしての採血なので、
少々痛いかもしれないけど、大丈夫だと思うよ!
でも貧血には注意だ!
献血ではなったこと無いけど、
献血後は少々階段を上ったりしただけでもいつも以上に息が上がる。
まあ400mlもとればそうもなるか・・・
アカギの異常さがよくわかりますよw
実際、母の病室には同じ血液の病気の患者がいたのですが、
母よりも若いのに他界してしまう方も何人か居たんだとか・・・;;
気の毒ではありますが、母が回復して良かったです!
献血、始めの検査採血はともかく、
目測だけど、実際の献血の採血の際は、
直径2mmから2.5mmくらいの太めの注射針をさしての採血なので、
少々痛いかもしれないけど、大丈夫だと思うよ!
でも貧血には注意だ!
献血ではなったこと無いけど、
献血後は少々階段を上ったりしただけでもいつも以上に息が上がる。
まあ400mlもとればそうもなるか・・・
アカギの異常さがよくわかりますよw
posted by micat 2012/01/11 04:13 [ コメントを修正する ]
でも、本当に回復して何よりだよ。
最初聞いたときはちょっとショックだったもんなぁ。
献血か俺もやってみようかな。
吸 血 麻 雀 ・ ・ ・ (おま